スポンサーサイト
-- / -- / -- ( -- )
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-- : -- : -- | スポンサー広告 | page top↑
鹿児島工業高の代打男・今吉晃一 「シャーッ」の理由
2006 / 12 / 24 ( Sun )
鹿児島工業の代打男・今吉晃一
鹿児島工業の代打男・今吉晃一



 平成18年は、野球の年だった。王ジャパンのWBC優勝に始まり、夏の甲子園から秋の国体まで続いたハンカチ王子人気、新庄劇場の勢いのままに日本ハムが日本一となり、締めは松坂大輔の高額メジャー移籍。松井秀喜の骨折やONの闘病・復帰も含め、その話題量はワールドカップ・イヤーだったサッカーを凌駕(りょうが)した。

 なかで最も印象に残ったのが、この野球少年だった。夏の甲子園でベスト4に勝ち進んだ鹿児島工業の代打一筋。1球ごとにバットをかざして「シャーッ」の雄たけびをあげ、派手なガッツポーズでアルプススタンドを沸かせた。ピンチの伝令役ではチームメートが彼のそり上げた頭に手を置いて気持ちを静めた。ベンチ前の円陣でも常に中心に彼の頭があった。

 沈着クールな早実のエース斎藤佑樹は彼を三振に打ち取ると腰だめにガッツポーズを作り、試合後は早実の和泉実監督までが「おれにも頭を触らせろ」と彼の姿を追った。

 国体では駒大苫小牧の主将、本間篤史が彼をまねて「シャーッ」とバットをかざして打席に入り、死球をくらってスタンドの爆笑を誘った。超高校級投手、田中将大は高速スライダーで彼を三振に打ち取り、会心の笑みをマウンドでみせた。

 彼の周囲には、いつもたくさんの笑顔があった。野球という競技が、とても素敵なものに思えた。だが、お調子者にも見えた彼の素顔は少々違う。あの「シャーッ」にも、考え抜いた理由があった。


 165センチ、90キロ。恵まれた体格とは言い難い。2年になったころ、すでに捕手でのレギュラーはあきらめていた。チームには超高校級捕手の鮫島哲新がいた。実力の違いは歴然としていた。「僕の役割はなんだろう」。まず人一倍、声がでかいことだった。勝っていようが負けていようが、代わらぬ音量の激励、叱咤(しった)はベンチに欠かせなくなった。ムードメーカーに徹する一方、控え選手や下級生への目配り気配り、周囲が見えている選手としての評価も高く、副将も任された。

 腰に違和感を覚えたのは、昨秋だった。ただの疲れと思い、2週間休んだが、痛みは引かなかった。医師の診断は疲労骨折。高校生が一番伸びるとされる冬を無為に過ごした。バットは振れず、ボールも投げられない。焦りもあった。春になっても腰の状況は変わらなかった。一時は退部も考えたが、チームの皆が止めてくれた。もう一度こいつらと野球がやりたい。そう思った。

 5月、高校最後の県大会まであと2カ月。医師と監督に直訴した。「この夏だけで、その後はもう野球をやりませんので、ここで腰が壊れてもかまいません」。監督の出した条件は、1試合1打席の代打専門。守らない。塁に出たら代走を出す。その後もすべての練習には参加できず、仲間がノックを受けている間はティー打撃を行った。それでも自分の仕事があることがうれしかった。

 監督からは、1打席に賭けるアドバイスをもらった。「直球はど真ん中でも見逃していい。カーブだけをねらえ」。迷いはなくなった。あとはどう変化球を投げさせるか。考えた。

 「気合満々で打席に入れば、こいつはストレートを待っていると思われる。裏をかいてカーブを投げてくれるんじゃないか」

 「シャーッ」の誕生秘話は、もう真剣な場での野球をやるつもりはないから明かせた。思惑は当たり、県大会では決勝まで6試合でなんと、6打数5安打。チームは甲子園初出場を勝ち取った。

 甲子園初陣の相手は高知商。八回二死で代打に送られ、「大観衆に足がガクガクし、打席に入ったところまでしか覚えていない」が、右翼線二塁打。準々決勝の福知山成美(京都)戦では劣勢の七回先頭で代打。遊撃横へのゴロを一塁への猛烈なヘッドスライディングで内野安打とし、ガッツポーズでほえた。腰の痛みは忘れていた。代走が同点のホームを踏んだ。

 準決勝を前に早実の斎藤は「今吉君を押さえたい」と話した。決戦は六回二死二塁。0-3から狙っていたスライダーを強振してファウル。結局フルカウントから内角高めの速球を空振り。斎藤が珍しくガッツポーズで笑顔をみせた。甲子園のスタンドが膨れあがるような歓声がとどろかせた。

 鹿児島に帰ると、人気は頂点に達していた。知事も市長も、今吉の頭に触りたがった。


 今吉は斎藤との対戦を、いまも「野球をやってきて、一番楽しかった」と話す。だが秋の国体で、さらなる怪物を見た。駒大苫小牧の田中の高速スライダーに見逃し三振。「レベルの差を感じました。斎藤のスライダーにはなんとかかすったけど、田中のは見えなかった。体が全くついていけなかった」

 米国遠征の高校代表でマスクをかぶり、両投手の球を受けた鮫島もこう話したという。「斎藤はコントロールもよく、サインを出したらそこにくる。田中のスライダーは後ろにそらすんじゃないかと、いつもドキドキしながら構えていた」

 その米国遠征で、斎藤は今吉にみやげを買って鹿児島工業のチームメートに託した。今吉の愛称「ゴリラ」が記された白い絹のハンカチだったという。斎藤とはたまにメールで連絡を取り合う。「野球の話とか。ま、あっちは大変だと思うし」

 すでに大手の鉄鋼会社に就職が内定している。「世界を支える仕事。そういうものをやりたいんです」

 トレードマークのツルツル頭は、3日に1回、自らカミソリでそり上げていた。道行く人からも「あなたに元気をもらった」と触られることがあった。断ったことはないが、「もうそろそろいいんじゃないかという気持ちもあります」。(取材・大地山隆)

(2006/12/24 19:04) 産経新聞

ブログランキングに参加してみました。よろしければ、応援お願いいたします☆ 
スポンサーサイト
19 : 04 : 00 | 2006夏の甲子園関連 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<「ハンカチ王子」フィーバーは年を越しても激しくなるばかり | ホーム | ハンカチ王子を守れ!早大が“パパラッチ”対策>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://memolife.blog17.fc2.com/tb.php/760-bea8de7b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。